20260601-2321

GDP─「使うなよ」と言われてた経済指標─生みの親が止めたのに

「GNPはあらゆるものを測るが、人生を有意義にするものだけは測れない」

──これ、誰が言ったか知ってますか。ロバート・F・ケネディです。1968年3月18日、カンザス大学での演説 [1:marketplace.org]。

ちなみに現在の主流はGNPからGDPに変わってますが、本質は同じです。名前が変わっただけ。

で、そのGDPの原型をつくった人がいます。

サイモン・クズネッツ(Simon Kuznets)。ロシア生まれのアメリカ人経済学者です。1934年、大恐慌のまっただ中にアメリカ議会から「経済の規模をちゃんと測れる方法をつくってくれ」と頼まれて、国民所得の統計手法を開発しました [2:britannica.com]。

これが後のGDPの土台になります。

ところが、その報告書の中でクズネッツ本人がこう書いてるんです:

“The welfare of a nation can, therefore, scarcely be inferred from a measurement of national income.”
(国民所得の測定から国家の福祉を推し量ることは、ほとんどできない)

── Simon Kuznets, “National Income, 1929-1932” (1934), 議会報告書 [3:nber.org]

生みの親が「これで国の豊かさを測るなよ」と言った。

しかもクズネッツはこうも述べています。「個人所得の分配が分からなければ経済的福祉は適切に測定できない」──そして「所得を得るための労力の強度や不快さという裏面を推定する所得統計は存在しない」と [1:marketplace.org]。

要するに「数字が大きくなっても、その恩恵が誰に行ってるかも、稼ぐためにどれだけ辛い目をしてるかも、この指標じゃわからないよ」と。

無視された。

1944年のブレトンウッズ会議で、GDPはめでたく世界標準の経済指標として採用されました [1:marketplace.org]。クズネッツは1971年にノーベル経済学賞を受賞しますが [4:nobelprize.org]、自分がつくった指標が「国の豊かさ」の代名詞として使われ続けることへの懸念は、最後まで変わりませんでした。

窓を割れば経済成長

GDPの根本的な問題を理解するには、170年以上前の寓話がいちばんわかりやすいです。

フランスの経済学者フレデリック・バスティア(Frédéric Bastiat)が1850年に書いた "Ce qu’on voit et ce qu’on ne voit pas"(見えるものと見えないもの)というエッセイに出てくる「割れ窓の寓話」 [5:en.wikipedia.org]。

話はシンプルです。

少年がパン屋の窓を割る。パン屋はガラス屋に修理を頼む。ガラス屋が儲かる。ガラス屋はそのお金でカフェに行く。カフェも儲かる。──やった、経済が回った!

でもバスティアはこう指摘します。ちょっと待ってくれ、と。窓が割れなければ、パン屋はそのお金で靴を買えた。靴屋が儲かり、靴屋もまた別の店で買い物をしただろう。しかも世界には窓がそのまま残っていた [5:en.wikipedia.org]。

つまり、割れ窓の修理は確かにGDPに加算される。でも「窓が無事だった世界」との差──失われた機会と、もともとあった富──はGDPには映らない。

バスティアの言葉で言えば、「見えるもの」だけを数えて「見えないもの」を無視する。これがGDPの構造的な欠陥です。

1850年の話ですよ。170年以上前。

壊れるほど成長する経済

この構造を現代のサプライチェーンに当てはめると、まったく笑えない話になります。

耐久テストを省略した製品が市場に投入される。1年で壊れる。消費者は買い替える。GDP上は「生産」と「販売」が2回カウントされる。10年持つ製品なら1回で済むところが、壊れやすい製品は10回分の「経済活動」を生み出す。

数字だけ見れば後者のほうが「成長」してる。

さらに壊れた製品は廃棄される。廃棄物処理業者に費用が渡る。これもGDPに加算される。

壊れる → 買い替える → 捨てる → 処理する。全部GDP。

構造推定:GDPという指標のもとでは、壊れやすいものを大量に作って大量に捨てる経済のほうが、丈夫なものを長く使う経済より「成長」して見える。バスティアが1850年に示した割れ窓の構造が、グローバルサプライチェーンの規模で再現されているわけです。

この構造のもとで不可視になるコスト、ちょっと並べてみましょう。

消費者の時間と手間──調べる、選ぶ、届くのを待つ、不良品を返品する、代替品を再注文する。この労力、GDPに計上されません。

環境負荷──生産・輸送・廃棄にかかるCO₂排出、マイクロプラスチック汚染、埋立地の逼迫。GDPはこれらをコストとして差し引きません [6:weforum.org]。

品質の毀損──「安くて壊れるもの」が市場を支配すると、「高くて持つもの」は価格競争で淘汰される。消費者の選択肢そのものが劣化する。

構造推定:そしてAmazonのようなマーケットプレイスでは、出品者が悪評を蓄積しても店舗名を変えればリセットできます。粗悪品の製造→販売→破棄→再出品のサイクルを止めるフィードバックループが機能しない。

GDPは、このサイクル全体を「経済成長」として記録し続けます。

労働者が壊れてもGDPは上がる

壊れるのはモノだけじゃありません。人間も壊れます。そして人間が壊れたときのほうが、GDPはもっと回る。

長時間労働で心身を壊した労働者は、医療機関を受診します。診察料、検査費用、薬代──全部GDPに加算されます。抗うつ薬が処方されれば製薬会社の売上になる。休職すれば傷病手当の処理で事務コストが発生する。復職支援プログラムに参加すれば、その費用もGDP。最悪の場合、過労死すれば葬儀費用すらGDPです。

壊れる → 受診する → 薬を飲む → 休む → 復帰を試みる → また壊れる。全部GDP。

比喩じゃありません。数字で見てみましょう。

OECDの推計によると、精神疾患に関連する経済コストはGDP比4%超に達します [13:oecd.org]。EU28カ国では6,000億ユーロ以上──うち医療費が1,900億ユーロ、社会保障プログラムが1,700億ユーロ、そして雇用率低下・生産性低下による間接コストが2,400億ユーロです [14:ec.europa.eu]。コロンビア大学の研究チームは、アメリカ単体でも精神疾患の経済コストは年間2,820億ドル──GDP比1.7%、平均的な景気後退1回分に匹敵すると算出しています [15:business.columbia.edu]。

ここが重要です。この「コスト」のうち、医療費や社会保障給付として支出された分は、そのままGDPに加算される。精神科の診察料、向精神薬の売上、復職支援プログラムの費用──すべて「経済活動」です。つまり、労働者が壊れることで失われるGDPと、壊れた労働者を治療・支援することで生まれるGDPが、同時に存在している。

そしてこの構造はグローバルに拡大しています。2021年、WHOとILOは初の共同推計を発表しました。2016年時点で、週55時間以上の長時間労働に起因する脳卒中・虚血性心疾患による死亡者数は世界で74万5,000人。2000年比で29%の増加です [10:who.int]。週55時間以上の労働は、脳卒中リスクを35%、虚血性心疾患の死亡リスクを17%高めるとされています [10:who.int]。

日本にはこの構造を象徴する言葉があります。過労死(karoshi)。1969年に最初の事例が報告され、1980年代に社会的に認知されました [11:weforum.org]。厚生労働省のデータによると、2024年度の過労死・過労による健康障害の認定件数は1,304件──前年度比196件増で過去最多を記録しています。うち精神障害が1,057件で、初めて1,000件を超えました [12:nippon.com]。

構造推定:モノが壊れるサイクルと同じ構造がここにあります。労働者が壊れるたびに医療・製薬・福祉サービスが「経済活動」として計上される。予防に成功して誰も壊れなければ、その分のGDPは消える。つまりGDPの論理では、労働者が健康でいることは経済的に「非生産的」なのです。

前のセクションで見た「壊れやすいモノを大量に作って大量に捨てる経済」──それがそのまま人間に適用されている。バスティアの割れ窓が、労働者の身体と精神の上で割れ続けています。

クズネッツが本当に測りたかったもの

さっきクズネッツが無視された話に戻ります。

クズネッツが1934年の報告書で強調したのは、国民所得の「量」だけじゃなく「分配」を見なければ福祉は測れない、ということでした。さらに、所得を得るために費やされる労力の強度や不快さ──つまり労働の質──も、数字には表れないと指摘していた [1:marketplace.org]。

この視点から見ると、GDP至上主義が見落としているものは明確です。

誰が豊かになっているのか──分配の問題。

何を犠牲にして成長しているのか──環境や労働の質 [6:weforum.org]。

何がカウントされていないのか──家事、介護、育児などの無償労働。

3つめの問題を体系的に批判したのが、フェミニスト経済学者のマリリン・ウェアリングです。1988年の著書 If Women Counted: A New Feminist Economics で、GDPが非市場労働を完全に除外している構造を明らかにしました [7:en.wikipedia.org]。

わかりやすい例を挙げましょう。1日8時間子どもの世話をしている親がいる。この労働はGDPに計上されない。でもその親がベビーシッターを雇えば、その支払いはGDPに加算される。同じ労働です。お金が動くかどうかだけで「経済活動」かどうかが決まる。

ウェアリングの議論は国連の国民経済計算の改訂にも影響を与えました [7:en.wikipedia.org]。でも、無償労働がGDPから除外されるという根本構造は、今も変わっていません。

で、結局GDPって何なのさ

戦時中の生産力を測るにはよかったんです。実際、第二次大戦中のアメリカはGDPを使って軍需生産の計画を立てて、それは機能しました [8:theconversation.com]。

でもそれは「この国の工場で今年どれだけモノを作れるか」を測る指標であって、「この国の人々がどれだけ豊かに暮らしているか」を測る指標ではない。

クズネッツが1934年に言った [3:nber.org]。バスティアが1850年に構造を示した [5:en.wikipedia.org]。ロバート・ケネディが1968年に演説で批判した [1:marketplace.org]。スティグリッツ、セン、フィトゥシが2009年にフランス政府の委託で報告書を出した [9:ec.europa.eu]。

全員が同じことを言ってます。GDPで福祉を測るな。

そしてみんな無視された。

📚参考文献

#GDP #経済指標 #社会 #コラム #エッセイ #過労死 #福祉