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「それって自己責任でしょ」——自己責任論という日本語の30年史

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🎤 はじめに — 「それって自己責任でしょ」という魔法の言葉

「それって自己責任でしょう?」

思ったこと、言ったことありますか?私はあります。

あの言葉の便利さは、たぶん使った側にもわかってる。議論が面倒になったとき、相手の状況が理解しきれないとき、あるいは自分がそうじゃなくてよかったと安堵したいとき——「自己責任」の四文字は、それ以上考えなくていい免罪符として機能します。

でも、その言葉が何をしているかを少しだけ追いかけてみると、話はずいぶん違って見えてきます。

本稿では、「自己責任」という言葉がどこから来て、どうやって日常語になり、その過程でどんな人たちが傷ついて消えていったかを、できるだけ静かに記録していきたいと思います。


🕰️ 「自己責任」はいつ頃から目立ち始めたか

言葉の起源——思いのほか古い

「自己責任」という語が日本語に初めて登場したのは、実は明治時代です。

慶應義塾大学の研究者ラウラ・ブレーケンによるデジタル・ヒューマニティーズ分析によると、この語が新聞に初めて現れるのは1898年6月1日の朝日新聞でした。当時は政府高官の政治的説明責任を問う文脈で使われており、今日のような「個人の自己管理・自業自得」的な意味合いとは異なっていました [1:koara.lib.keio.ac.jp]。

明治から戦後にかけて、この語は主に法的・行政的な文脈で細々と使われていました。ところが——

1991年、最初の爆発

四大紙のデータベース検索によると、「自己責任」の使用件数が急増したのは1991年のことです [1:koara.lib.keio.ac.jp]。その背景には、1991年に社会問題化した証券会社の損失補填問題がありました。

バブル経済の崩壊とともに、「自分のリスクは自分で取れ」という論理が経済語彙として表舞台に出てきたのです。それまで会社・組織・家族が引き受けていたリスクを、個人単位に再配分する思想の芽生えでした。

1990〜2000年代——政策が語を育てる

1982年に首相に就任した中曽根康弘は民活プロジェクト推進を掲げ、民間企業の活力を利用した社会整備と三公社の民営化を進めました。その後、橋本龍太郎政権での金融ビッグバン、小泉政権での「聖域なき構造改革」による規制緩和へと新自由主義的政策は引き継がれていきます [2:cas.go.jp]。

この流れの中で、「民間でできることは民間で」「小さな政府」というスローガンが社会に浸透し、それと対になる形で「自己責任」が規範として定着していきました。国家が引き受けていた役割を市場と個人に転嫁する——それが政策言語として整備されるにつれて、「自己責任」は経済用語から道徳語彙へと変貌を遂げていったのです。

1990年代末から2000年代初頭にかけて、自己責任は「流行語」や「時代のキーワード」と呼ばれ、「恐ろしい勢いで流行している」と形容されるほどの普及を見せました。そして平成を通じて、貧困などの社会的な問題が自己責任論によって個人的な問題として扱われるようになったことが、2018年時点でも指摘されています [1:koara.lib.keio.ac.jp]。

「流行語」。そう、一時期は純粋に流行語だったわけです。——ところが流行語には賞味期限がありますが、自己責任論は賞味期限を過ぎてもどこかに居座り続けました。


⚠️ 自己責任論の暴力性——コントロールできないものを「あなたのせい」にする

「責任」が成立するための前提

ちょっと哲学的な話をさせてください。でもすぐ終わります。

「責任(responsibility)」が成立するには、哲学的に最低限三つの条件が必要です。

  1. 行為者性:その人が実際に行動を起こしたこと
  2. 因果関係:その行動と結果の間に明確なつながりがあること
  3. 選択可能性:その時点で別の選択肢が現実的にあったこと

この三つが揃って初めて「あなたに責任がある」という言葉は意味を持ちます。ひとつでも欠ければ、それは責任の問題ではなく、運か構造の問題です。

法哲学者の瀧川は、「責任」という概念について、「自己決定の裏の責任」(自分が決めたことの結果を自分で引き受けること)と「集団のメンバーとしての責任」(所属する集団の役割を果たす義務)の二種類が混同されたまま「自己責任」の一語に押し込まれていることを指摘しています [1:koara.lib.keio.ac.jp]。

つまり「自己責任」という言葉は、もともと概念的に曖昧なのです。それが武器として機能するのは、その曖昧さゆえでもあります。

見えなくなるもの

自己責任論の最大の問題は、個人の選択の前にある構造を消すことです。

たとえば「なぜ貧困に陥ったか」を自己責任で説明すると、そこには選択ミスや努力不足が物語として登場します。でも実際には、その「選択」の前に——どんな家庭に生まれたか、どの地域で育ったか、景気サイクルのどの時点に就職したか、どんな病気を持っているか——無数の本人がコントロールできない要素があります。

1990年代の新自由主義的な改革に伴って自己責任が導入されたという指摘が多く見られる一方、自己責任は江戸時代にすでに重要な役割を果たしていたとの指摘も存在します。また、自己責任の概念は西洋と東洋で根本的に異なるとの指摘もあります [1:koara.lib.keio.ac.jp]。

構造推定:自己責任論がなぜ日本で特に強力なのかについては、日本型雇用の集団主義的規範(「メンバーとしての責任」感覚)と新自由主義的個人主義が独特の配合で混合された結果、責任概念の曖昧さが倍加したという仮説が研究者間で示唆されています [1:koara.lib.keio.ac.jp]。


📋 3つの事例——こういう力学があって、こういう人たちが消えていった

事例① イラク邦人人質事件(2004年)——「自己責任」が最初に轟いた瞬間

2004年4月、イラクで人道支援活動中の日本人3名が武装グループに拉致されました。数週間後、全員が解放されます。

普通なら「よかった」で終わるはずの話が、日本ではそうなりませんでした。

空港で本人たちの姿が見えたとき、少なくない大手メディアが発した言葉は「お帰りなさい」ではなく、謝罪を求める言葉でした。体調を崩した本人たちに代わって家族が会見を行いましたが、その場でも大手紙記者からの最初の質問は「謝罪はないのですか」というものでした [3:nd-initiative.org]。

「危険地帯に行ったのは自分たちの選択だ。だから救出にかかったコストも、心配させた迷惑も、自分で引き受けろ」——これが「自己責任バッシング」の論理でした。

人質のひとりだった今井紀明さん(当時18歳)は帰国後にバッシングを受けて体調を崩し、引きこもりがちになりました。20代前後を「地獄だった」と振り返っています [4:president.jp]。

18歳でした。18歳の青年が、紛争地で拘束され、命からがら帰国し、そして「自己責任だ」と日本中から言われた。

2004年の事件の際には、人質となった本人を激しく批判する自己責任論が日本中で「嵐」のように吹き荒れました。海外では、日本におけるバッシングの原因を日本社会の厳しい序列に見出すオリエンタリズム的な論調が主でしたが、自己責任という語は日本においてごく近年脚光を浴びるようになったものであり、その背景分析は単純ではありません [1:koara.lib.keio.ac.jp]。

この事件は、「自己責任」という言葉が社会全体のバッシング装置として機能することを、日本社会が初めて目の当たりにした瞬間でした。

事例② 就職氷河期世代——「努力が足りない」では説明できない数字

1990年代の成長鈍化の影響を受けた就職氷河期世代(おおむね1974〜83年生まれ)について、大学卒業者の就職率は氷河期の期間中69.7%と平年(80.1%)より10ポイント以上低く、高等学校卒業者も同様に平年より7ポイント程度低下していました [5:cao.go.jp]。

これは個人の努力の差ではありません。同じ能力・同じ学歴の人間が、卒業年度によって10ポイント以上の確率差で正規雇用にたどり着けたかどうかが決まったのです。

就職氷河期世代は40代・50代を中心に1,700万〜2,000万人が該当するとされています。この世代の多くは今なお正規雇用の機会に恵まれず非正規雇用として働いており、賃金などの待遇面において不利な状況に置かれています [6:jp.weforum.org]。

内閣府は2019年時点で、正規雇用を希望しながら不本意に非正規雇用で働く者が少なくとも50万人、就業を希望しながら様々な事情により求職活動をしていない長期無業者等を含めた支援対象を100万人程度と見込みました [7:cao.go.jp]。

100万人です。100万人が、バブル崩壊という本人にはコントロール不能な経済変動の結果として、雇用の入り口で弾き出されました。

この世代における不本意非正規雇用の割合(2018年)は14.1%で、全体(12.8%)よりも高くなっています。厚生労働省では2006年以降、フリーター・ニート等を対象とした再チャレンジ施策に取り組んできましたが、2008年に88万人いたフリーター等の数は2018年に52万人まで減少した一方、不安定な就労を続けざるを得ない人たちも一定数存在しています [8:mhlw.go.jp]。

そしてこれだけの数字がありながら、長らく社会が向けたのは「努力しなかったんでしょ」という視線でした。

2019年になってようやく政府が「就職氷河期世代支援プログラム」を閣議決定しましたが [7:cao.go.jp]、それは事態が起きてから約20年後のことです。

事例③ 生活保護申請者へのバッシング——制度の外で消えていく人たち

生活保護の話をするとき、日本では奇妙なことが起きます。制度が機能していないことへの怒りよりも、制度を使う人への怒りの方が大きくなりやすいのです。

構造推定:この現象は「自己責任論」と「スティグマ(恥の烙印)」の相乗作用によって説明されます。「受けるほうが悪い」という感覚が申請を心理的に困難にし、それが捕捉率の低下として数字に現れます [9:hinkonstat.net]。

では実際の数字を見てみましょう。

厚生労働省の推計では、生活保護基準以下の所得の世帯のうち現に生活保護を受けている世帯の割合(捕捉率)は、所得のみの比較で22.6%、資産(預貯金1か月以上を除外)を考慮した場合43.3%でした。つまり6〜8割の受給漏れがあることが明らかになっています。

推計方法の注記:この数値は2018年公表の厚労省推計をもとにしたもので、使用する基準(所得のみ/資産考慮)によって数値が異なります [9:hinkonstat.net]。フランスの捕捉率が9割程度とされているのと比較すると、日本の低さは際立っています [10:rochokyo.gr.jp]。

では、なぜ申請しないのか——もしくはできないのか。

「水際作戦」と呼ばれた運用が長年行われてきました。生活保護を受ける条件を満たしている人が来ても、書類が足りないなどと言って申請させない、制度上は受けられる人を運用上追い返す——。これは違法です。司法もそう言っています。

三郷市生活保護裁判(さいたま地裁 2013年2月20日判決)がその記録です [11:courts.go.jp]。

白血病で倒れた夫を抱えた家族が、2005年1月から繰り返し三郷市の窓口を訪ねました。「働きなさい」「自分でどうにかするしかない」「親族に助けてもらいなさい」——その度にそう言われ、申請書すら渡してもらえないまま1年以上が過ぎました。弁護士が同行してようやく申請が受理されたのは2006年6月。夫は2008年3月に50歳で亡くなり、裁判は妻と子どもが引き継ぎました [12:saitamasogo.jp]。

さいたま地裁は2013年2月20日、三郷市の対応を「申請権を侵害するものである」として違法と認定し、約537万円の損害賠償を命じました。原告側弁護団によると、生活保護の申請権侵害を明確に認めた判決は全国初でした [12:saitamasogo.jp]。

裁判所はこう判示しています——「就労による収入を増やし、身内からの援助もさらに求めなければ生活保護を受けることができないと誤信させるもので、申請権を侵害するものである」[11:courts.go.jp]。

「親族に頼れ」は申請の要件ではない。「まだ働ける」は申請を拒む理由にならない。司法はそう言いました。でも——これが「全国初」の判決だったということは、それまで何十年もの間、違法と明確に認定されないまま、同じことが各地で繰り返されてきたということです。

「水際作戦」を受けた生活困窮者の自殺や餓死、殺人事件は、2005年以降明らかになっているだけで11件起きています。記録された死だけで、その数です [13:synodos.jp]。

実際には、全国の福祉事務所の窓口において、あたかも親族の扶養が保護の要件であるかのごとき説明がなされ、親子兄弟に面倒を見てもらうよう述べて申請を受け付けずに追い返すことが行われていました。また、扶養義務者への通知によって生じ得る親族間のあつれき等を恐れて申請を断念する事例も少なからず見受けられ、数々の裁判例において申請権を侵害する違法な行為と評価されてきました [14:shigaben.or.jp]。

自己責任論がここで果たしている役割は、制度の外で消えていく人を「正当に消えた人」に変換することです。「自業自得だったんでしょ」という物語が、構造的な排除を見えなくします。


📝 おわりに — 「自己責任」という言葉を手放す前に

「自己責任」を批判するとき、「だから責任なんてない」と言いたいわけじゃありません。責任は確かに存在するし、自分の行動の結果と向き合うことは大切です。

でも、この言葉が「コントロールできない構造」を「コントロールできたはずの個人の失敗」に書き換える道具として使われてきたこと——そして、その書き換えのせいで、ある人たちが「消えるべくして消えた」扱いを受けてきたこと——を記録しておくことには、意味があると思っています。

1991年の証券損失補填問題から始まり、構造改革の言語として浸透し、2004年のイラク人質事件で爆発し、就職氷河期世代を「努力不足」として処理し、生活保護申請者を窓口の外に押しとどめる——これが30年の歴史です。

次にその言葉が出そうになったとき、少しだけ止まってほしい。

「この人には、どんな選択肢があったのか」「その選択肢は、本当にあったのか」

それを問うことが、構造を見るということだと思います。


📚 参考文献


反証可能性

主張 反証可能性
「自己責任」語の普及は新自由主義と連動 語の普及と政策変化の因果は相関関係であり、直接的因果を証明するデータは本稿では示せていない
イラク人質事件が「自己責任」浸透の転換点 語の普及は1991年からすでに始まっており、同事件は象徴的事例だが、転換点の唯一性は過大評価の可能性がある
就職氷河期の不遇は「構造要因」のみ 内閣府自身も「様々な事情」と表現しており、個人差・地域差・職種差が存在することは否定できない
捕捉率の低さが自己責任論バッシングに起因 本稿の「構造推定」ラベル通り、スティグマと申請抑制の因果は推定であり、制度複雑性・情報格差・運用上の問題など多因子が絡む
水際作戦関連死11件 Synodos記事は「明らかになっているだけで」と留保しており、実数の全体像は把握されていない。過小計上の可能性がある

#社会 #コラム #歴史 #自己責任 #就職氷河期 #生活保護 #新自由主義