なぜ私たちの声は届かないのか ── 「主権者」という美しい言葉について

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「民主主義は最悪の政治形態であると言われる。ただし、これまで試された他のすべての形態を除けば」
─ ウィンストン・チャーチル

「有権者たちよ。一体いつから── 主権者であると錯覚していた?」
─ 藍染ハワー(仮名)


チャーチルの言葉は、民主主義への賛辞として引用されることが多い。でも、本当にそうだろうか。あれは賛辞ではない。消去法による諦念だ。他がもっと酷いから、これで我慢しろという宣告。

藍染ハワーの一言は、そこからさらに一歩踏み込む。お前たちは「選ぶ側」にいると思っているようだが、本当にそうか?──と。

この二つを並べたとき、ある問いが浮かび上がる。

私たちは本当に「主権者」なのか。それとも、そう呼ばれているだけなのか。

2026年の今、この問いは抽象的な哲学ではなくなった。アメリカと日本で同時に起きている民主主義の機能不全が、答えを突きつけている。


🗝️ 言葉を整理する── 主権者とは誰か

議論の前に、言葉を明確にしておきたい。

国民主権(popular sovereignty)── 国家の最終的な権力は国民に由来するという原則。日本国憲法では前文と第1条に明記されている。「主権が国民に存する」と。

主権者(sovereign)── その主権を持つとされる者。日本では、国民一人ひとりがこれに当たる……ことになっている。

有権者(voter / elector)── 選挙権を持つ者。主権者の部分集合であり、主権を行使する「手段」を与えられた人々。

国民国家(nation-state)── 国民という概念と国家という統治機構が一致するとされる近代の枠組み。国民主権はこの構造の中で成立する。

代表制民主主義(representative democracy)── 国民が代表者を選出し、代表者が国民に代わって政策を決定する仕組み。直接民主主義が大規模社会で非現実的であるために採用された次善の策。

ここに最初の亀裂がある。「主権者」は原理的な概念であり、「有権者」は制度的な概念だ。主権者であるはずの国民が、有権者として行使できるのは、数年に一度の投票という極めて限定された行為だけだ。

主権は国民にある。でもそれを行使するチャンネルは、驚くほど狭い。


🇺🇸 アメリカ── 暴走する国家と、それを選んだ国民

2025年から2026年にかけて、アメリカの民主主義で何が起きたかを見てみよう。

⚖️ 行政権の暴走:関税という一人芝居

合衆国憲法は明確だ。関税を課す権限は連邦議会にある(第1条第8節)[1:archives.gov]。三権分立の基本中の基本。

ところがトランプ大統領は、国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠に、議会の承認なしに世界中に相互関税を叩きつけた[2:govinfo.gov]。この法律は本来、金融制裁などに使う緊急措置法であり、過去にこれを使って関税を課した大統領はいない[3:supremecourt.gov]。法的根拠としては極めて薄い。だがトランプ政権はそれを承知の上で強行した。

ブレナン・センターが最高裁に提出したアミカス・ブリーフは、「IEEPAは関税を課す権限を大統領に付与しない」と明確に主張し、制定から約50年間、どの大統領もIEEPAを関税に使った前例はないと指摘している[3:supremecourt.gov]。

結果はどうなったか。2025年5月、国際貿易裁判所(CIT)が違法判決。8月、連邦控訴裁も7対4で違法判決を支持した[4:jetro.go.jp]。そして2026年2月20日、連邦最高裁が6対3でIEEPA関税を無効と判断した[5:logi-today.com]。

三度の司法判断で、すべて「大統領の権限を逸脱している」とされた。つまり、行政府の長が立法府の権限を一方的に侵食し、司法府が三度にわたってそれを否定したということだ。

教科書通りの三権分立が「機能した」と言えるかもしれない。でも、そう楽観できる話ではない。

🔄 最高裁に負けても止まらない大統領

トランプ大統領は最高裁判決が出たその日のうちに、別の法律(通商法122条)に基づく世界一律10%の新関税を発動した[6:nri.com]。翌日には15%への引き上げを示唆した[6:nri.com]。最高裁に「その方法は違法だ」と言われて、数時間後に別の入口から同じことをやり直す。

通商法122条には上限15%・150日間という制限がある[7:iti.or.jp]。だが150日の間に、別の法的根拠で恒久的な関税に切り替える道筋をすでに描いている[7:iti.or.jp]。

これが民主主義国家のリーダーの振る舞いだ。 司法の判断を形式上は受け入れつつ、実質的に無力化する。制度のバグを突いて自分の意思を通す。

🗳️ だが──この大統領を選んだのは国民だ

ここが重要な点だ。トランプは選挙で勝った。関税政策を公約に掲げ、有権者はそれを支持した。「暴走」する大統領を生み出したのは、民主的な選挙プロセスそのものだ。

有権者は主権者として意思を表明した。その結果として、三権分立を揺るがす行政権の肥大化が起きている。

国家が暴走しているのか。国民がそれを望んだのか。 この問いに明快な答えはない。おそらく、両方だ。


🇯🇵 日本── 眠り続けた国家と、目を逸らし続けた国民

アメリカの機能不全は派手で目に見えやすい。日本のそれは、もっと静かで、もっと根深い。

💣 50年間放置された時限爆弾

2026年2月28日、米国・イスラエルによるイラン攻撃を受けて、ホルムズ海峡が事実上封鎖された[8:roles.rcast.u-tokyo.ac.jp]。

日本の原油輸入の中東依存度は93%。そのほとんどがホルムズ海峡を経由する[9:alterna.co.jp]。世界でこれほど中東の石油に依存している先進国は、日本しかない。

これは2026年に突然降ってわいた危機ではない。1973年の第一次石油危機以来、半世紀にわたって指摘されてきた構造的脆弱性だ。日本政府は石油危機後に三つの対策を立てた。石油火力の削減、備蓄の充実、輸入先の多角化。最初の二つはそれなりに成功した。石油火力は発電量の6割から7%に下がり、備蓄は約8ヶ月分まで積み上がった[9:alterna.co.jp]。

だが三つ目── 輸入先の多角化は完全に失敗した。 石油危機当時の中東依存度は約78%。50年かけた「多角化」の結果、依存度は93%にまで上昇した。悪化している[9:alterna.co.jp]。

歴代政権はこの問題を知っていた。エネルギー基本計画にも書かれていた。でも誰も本気で取り組まなかった。「ホルムズ海峡が本当に封鎖されることはないだろう」──それが官僚にとっても政治家にとっても暗黙の前提だった。

ホルムズ海峡の封鎖は日本の経済・生活に直撃している。大阪のガソリンスタンドでは3月初頭に1L140円台だったレギュラーが数週間で180円台へ急騰し[10:ktv.jp]、三井化学はナフサ不足によるエチレン減産を余儀なくされ[10:ktv.jp]、日本関連船45隻が足止めになる見通しとなった[10:ktv.jp]。ナフサは国内需給の3割しか賄えず、7割は輸入に依存しており、化学製品の原料不足は長期化が懸念されている[9:alterna.co.jp]。

👁️ 国民もまた、見ないふりをした

では国民はどうか。

創発戦略研究オープンラボ(ROLES)が2026年3月に発表した世論調査では、「エネルギー危機」を差し迫った安全保障上の脅威と見なした回答者は約4分の1にとどまり、4回の調査を通じて微減傾向にある[8:roles.rcast.u-tokyo.ac.jp]。さらにROLESは、韓国・台湾の中東依存度が約7割であるのに対し、日本の94%という水準は突出して高く、エネルギー・リテラシーの向上が急務だと指摘している[8:roles.rcast.u-tokyo.ac.jp]。

ホルムズ海峡が実際に封鎖され、石油化学コンビナートが減産を始めているこの状況でも、社会は「意外と平穏」と報じられている。備蓄があるから当面は大丈夫? そうかもしれない。でも備蓄は時間を買っているだけだ。封鎖が続けば再充填はできない。

問題は、この危機を「自分の問題」として認識している国民が少ないことだ。 エネルギー政策は「難しくてよくわからない」「政府がなんとかするだろう」。主権者としての当事者意識は、ここにはない。

🤝 国家と国民の共犯関係

アメリカの機能不全は「選んだ大統領が暴走した」という能動的な失敗だ。日本のそれは「誰も何もしなかった」という受動的な失敗だ。

でも結果は同じだ。国民の安全と利益が損なわれている。

日本の場合、国家の怠慢と国民の無関心は共犯関係にある。政府は「面倒な構造改革」を先送りし、国民は「面倒な問題」から目を逸らした。双方にとって、現状維持が最も楽な選択肢だった。50年間、ずっと。

主権者であるはずの国民は、自分の生命線であるエネルギー安全保障について、主権を行使するどころか、関心すら持たなかった。そして国家は、その無関心に甘えた。


📢 声が届かないのか、声を出していないのか

ここで最初の問いに戻ろう。「なぜ私たちの声は届かないのか」。

この問いは、実は二つの異なる問題を含んでいる。

ひとつは制度の問題。 代表制民主主義の構造上、声が届きにくいチャンネル設計になっている。パブリックコメントは形骸化し、政策決定は官僚と与党部会で事前に完了し、国会審議は儀式と化している。アメリカでは、大統領が議会の権限を迂回して政策を強行する手段が複数存在する[11:congress.gov]。これらは「悪い政治家」の問題ではなく、制度設計の問題だ。

もうひとつは、そもそも声を出していないという問題。 投票率の低下、政策への無関心、「どうせ変わらない」という諦め[12:soumu.go.jp]。日本のエネルギー安全保障が50年間放置されたのは、政治家だけの責任ではない。有権者が「それを争点にしなかった」ことの帰結でもある。

制度が壊れているのか。使う側が壊れているのか。

おそらく、両方だ。


🎭 藍染ハワーの問い

冒頭の二つの引用を、もう一度並べてみよう。

チャーチルは「最悪だが他よりマシ」と言った。それは制度への諦観であり、同時に、他の選択肢(独裁、寡頭制、全体主義)の惨禍を知る者の消去法的な判断だった。

藍染ハワーの言葉は、その「マシな制度」の中にいる私たちに向けられている。お前たちは「主権者」だと言われている。だが実態はどうだ? アメリカの有権者は暴走する大統領を自ら選び、日本の有権者は自国のエネルギー安全保障に50年間無関心だった。主権者として何を行使した?

一体いつから── 声を出しているだけで届いていると錯覚していた?

だが、錯覚を自覚したところで問題は解決しない。

制度が不完全であることを知ったうえで、なお制度にコミットし続けること。声が届かないことを知ったうえで、なお声を出し続けること。50年放置された問題を「自分の問題」として引き受けること。

華々しい結論はない。民主主義は最悪の制度だ。でも他に選択肢がない以上、この最悪の制度を少しでも機能させる側に立つしかない。

それとも── あなたは、もう諦めただろうか?

なーんてかっこいいこと言えたらいいんですけどね。要因は複雑なので、そちらは別の記事で、少しずつ書いていきたいとおもいます🙇


📚参考文献