戦時下の「見えない不安」に気づくということ——日本で暮らす私たちと不安障害

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🌀ニュースには映らない「静かな苦しみ」
アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃、ホルムズ海峡の封鎖——こうした国際ニュースが、連日のようにメディアを埋めています。原油価格の高騰、物価上昇、先の見えない景気の不安。戦場から遠く離れた日本でも、「この先、本当に大丈夫なのだろうか」という感覚がじわじわと生活に入り込んできています。
こうしたとき、社会の注目はどうしても「地政学リスク」「株価」「エネルギー安全保障」といった大きな言葉に向かいがちです。しかし、その陰で静かに深刻化するのが、不安障害などの心の問題です。不安障害とは、過度な不安や恐怖が長く続き、仕事や学校、家事、人間関係など日常生活を妨げてしまう状態を指します[1:nimh.nih.gov]。
世界全体で見ると、不安障害は最も一般的な精神疾患の一つで、2019年時点で約3億人が影響を受けていると推計されています[2:pmc.ncbi.nlm.nih.gov]。紛争や災害といった「非常時」には、こうした症状を持つ人がさらに増え、既に苦しんでいる人ほど影響を受けやすいことが、多くの研究から示されています[3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][4:who.int]。
けれども、日本国内で「戦争のニュースを見てから、眠れなくなった」「将来への不安で、電車に乗るのもつらくなった」と口にすることは、まだ簡単ではないかもしれません。「みんな我慢しているのだから」「本当に大変なのは戦地の人たちだ」と、自分の苦しみを飲み込んでしまう人も少なくないでしょう。
本稿では、紛争の影響が広がるいまの世界状況を背景に、不安障害という“静かな苦しみ”がなぜ見過ごされやすいのか、特に子ども・高齢者・障害のある人たちがどんな影響を受けやすいのか、そして紛争が終わった後も続く慢性的な問題について考えていきます。
「誰かを責める」ためではなく、身近な人、そして日本にいる当事者の存在に、少しだけ意識を向けてみる。そのきっかけになればと思います。
🧱不安障害が見過ごされる社会的構造
🔍「性格の問題」として片づけられてしまう
不安障害の症状は、多くの場合とても「生活の一部」に見えます。落ち着きのなさ、心配性、眠れない、仕事に集中できない、人混みを避ける——どれも、少し疲れている人にも見られるサインです。
アメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)によれば、不安障害は生涯のうち約3人に1人が経験しうるほど一般的なものであり[1:nimh.nih.gov]、決して珍しい病気ではありません。それでも、「ただの心配性」「気の持ちよう」とみなされ、専門的な支援につながらないことが多いとされています[1:nimh.nih.gov]。
日本でも、戦後の精神保健は長く「入院を前提とした医療」や、「問題が顕在化した人への対応」が中心でした。1950年代以降、精神衛生法の制定や精神科病院の整備が進んだ一方で[5:mhlw.go.jp]、地域での相談や、軽い段階で支える仕組みは後回しにされがちでした。結果として、「日常生活は何とか回っているが、心身は限界に近い」という人たちが、公的な支援の網からこぼれやすい構造が続いてきた面があります。
不安障害は「目に見える障害」ではありません。そのため、職場や学校で配慮を求めるにも勇気がいりますし、当人も「甘え」と感じてしまうことがあります。戦争や経済危機のニュースが続くと、なおさら「こんなことで弱音を吐いてはいけない」と自分を追い込んでしまいがちです。
⚙「緊急事態」ほど長期のメンタルヘルスが後回しになる
WHOは、紛争や災害などの緊急事態では、ほぼ全ての人が何らかの心理的苦痛を経験し、その一部が不安障害やうつ病、PTSD(心的外傷後ストレス障害)といった疾患に発展しうると報告しています[4:who.int]。過去10年に紛争を経験した人々のうち、約22%が不安障害やうつ病などを抱えているという推計もあります[4:who.int]。
しかし、実際の現場では、どうしても「命を守る」「食料や医療を確保する」といった目の前の課題が優先されます。日本の災害対応に関するマニュアルでも、心のケアは重要視されているものの、初期には「被災者の安全・生活の確保」が中心となり、精神疾患の専門的支援は後手に回りやすいことが指摘されています[6:mhlw.go.jp]。
戦争や経済危機が続くとき、日本国内でも次のような構図が生まれやすくなります。
- 原油高や物価高への対策、エネルギー政策など「大きなテーマ」に議論が集中する
- メディアも「地政学」「マーケット」に焦点を当て、人々の不安や心身の困難は個人の問題として扱われやすい
- 行政・企業・学校も「危機対応」で手一杯となり、メンタルヘルスの施策が後回しになりやすい
WHOは、緊急時こそメンタルヘルスサービスを強化し、コミュニティレベルの支援や偏見を減らす啓発を組み合わせることで、長期的な負担を軽減できると強調しています[4:who.int]。けれども、実際にそこまで手が回る国や地域は多くありません。
日本でも、いま起きている国際紛争を「遠い国の出来事」として眺めるだけでなく、それをきっかけに国内の心のケア体制を見直す視点が求められているのかもしれません。
👶脆弱層(子ども・高齢者・障害者)への影響
不安障害や関連するメンタルヘルスの問題は、すべての人に起こりえますが、子ども・高齢者・障害のある人は、特に影響を受けやすいとされています[3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][7:who.int]。それぞれの立場から、少しだけ具体的に見てみます。
🧒子ども——ニュースの意味を完全には理解できないまま
不安障害は、世界的に見ても5〜39歳の若い世代に大きな負担をもたらしており、特にいじめ被害などが重要なリスク要因となっていると報告されています[2:pmc.ncbi.nlm.nih.gov]。ただでさえ学校生活のストレスが大きい子どもたちにとって、「戦争」「経済危機」「将来不安」といったニュースは、言葉にならない形で心に積み重なっていきます。
紛争や長期的な不安定状態にさらされた子どもが、不安障害やうつ病、PTSDを発症しやすいことは、多くの国際的な調査で繰り返し示されています[3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][4:who.int]。日本の災害後の経験をまとめたマニュアルでも、学童や幼児の心のケアは、学校や保育の場と連携しながら進める必要があるとされています[6:mhlw.go.jp]。
たとえば、次のような状況は、周囲から見過ごされやすいサインです。
- 戦争や物価高のニュースのあと、夜泣きや悪夢が増えた
- 「将来が怖い」という言葉が増えた
- ニュース番組を極端に避ける、あるいは逆に固執して見続ける
- 頭痛や腹痛を訴え、学校に行きたがらない
こうした変化は、「単なる反抗期」「最近、元気がない」で済まされやすいものです。けれども、長く続く場合には、不安障害などの可能性も念頭に置きつつ、学校や医療につなぐことが、その子の将来を守ることにつながります[1:nimh.nih.gov][6:mhlw.go.jp]。
👵高齢者——情報と孤立が不安を増幅させる
WHOによると、高齢期には不安障害やうつ病を含む精神障害が少なくない割合でみられ、そこに身体疾患や死別、収入減など複数のストレス要因が重なりやすいとされています[7:who.int]。また、自殺による死亡のうち高齢者が大きな割合を占めることも指摘されており[7:who.int]、心の健康への支援は重要な課題です。
国際的なデータでは、紛争や長引く危機状況のなかで、高齢者のメンタルヘルスが見過ごされ、支援につながりにくいことが問題視されています[3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][4:who.int]。日本の災害時マニュアルでも、高齢者は「要支援者」として早期から特別な配慮が必要とされていますが、実際には現場で十分に行き届かないことがあると指摘されています[6:mhlw.go.jp]。
いまの日本でも、次のような構図が生まれやすくなっています。
- 一人暮らしや高齢夫婦のみの世帯が、物価や年金の先行きへの不安を一人で抱え込む
- デマやセンセーショナルな情報にさらされやすく、恐怖感が増幅される
- 「こんなことで心療内科に行くなんて」と、受診をためらう
WHOは、高齢者の精神健康を守るには、経済的安定や住環境の安全に加え、孤立を防ぎ、地域活動への参加を支えることが重要だと述べています[7:who.int]。しかし、地政学的な緊張が高まるなかで、行政や地域の資源は「防災」「エネルギー」「医療提供体制」といった目に見えやすい課題に割かれがちです。その結果、高齢者の不安障害は、家庭の中で静かに深刻化してしまいやすいのです。
♿障害のある人たち——歴史的に「後回し」にされてきた視点
日本の障害者施策の歴史を振り返ると、明治以降、長らく傷痍軍人が優先され、障害のある一般市民の生活や医療は、民間の慈善事業や最低限の公的扶助に頼らざるをえなかったことが、厚生白書などで指摘されています[5:mhlw.go.jp]。戦後、児童福祉法や身体障害者福祉法などの体制整備が進んだものの、精神障害や知的障害への対応は遅れがちで、在宅で暮らす人たちへの支援も十分とは言えませんでした[5:mhlw.go.jp]。
現在もなお、次のような構造的な課題が残っています。
- 精神疾患や発達障害を持つ人が、「障害」として正式に認知されず、制度の狭間に置かれる
- 戦争や経済危機のニュースが引き金となって症状が悪化しても、「自己責任」や「性格」と片づけられやすい
- 就労支援や福祉サービスはあっても、「長期にわたる生活不安」と「精神的な不調」が組み合わさった状況を前提とした支援設計がまだ十分ではない
WHOは、緊急時のメンタルヘルス支援において、重度の精神障害や障害のある人々が特に脆弱であり、ケアや薬、生活支援へのアクセスを優先的に確保する必要があると述べています[4:who.int]。日本の災害対応でも、高齢者・障害者・外国人などを「要支援者」と定義し、平時から名簿や連携体制を整えることが課題として挙げられています[6:mhlw.go.jp]。
戦争ニュースと物価高が続くいまの日本でも、「障害」と診断されているかどうかにかかわらず、もともと心身の負荷を抱えていた人たちが、さらに追い詰められやすい状況にあることは、意識しておきたいポイントです。
🕰紛争終了後も続く慢性化の問題
⏳「終戦」とともに終わらない心の問題
紛争や大規模な暴力が終わっても、その影響は長く人々の心に残ります。37か国・地域からの多数の研究を統合した分析では、紛争の影響を受けた一般住民におけるPTSDの有病率は約15.3%、大うつ病性障害は約8.8%と推定され、世界平均より高い水準が続くことが示されました[3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov]。また、PTSDは青年期にかけて増加し、若い世代に大きな負担をもたらすことも報告されています[3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov]。
WHOも、緊急事態におけるメンタルヘルス問題は短期的なものにとどまらず、長期にわたる支援体制が必要だと繰り返し強調しています[4:who.int]。それにもかかわらず、多くの国や地域では、「復興」が進むにつれてメンタルヘルスへの関心が薄れ、予算や人材が他の課題に移ってしまう傾向があります。
日本の災害対応マニュアルでも、初期対応だけでなく、中長期の支援と評価の仕組みが必要だと述べられていますが、実際には人員不足や制度の限界から、継続的なフォローが難しい現実があるとされています[6:mhlw.go.jp]。
🧬不安障害として残る「戦時の影」
ここまで主にPTSDやうつ病のデータを見てきましたが、不安障害もまた、戦時や災害経験が長期的に影響する疾患の一つです。世界疾病負担研究(GBD 2019)によると、不安障害によるDALY(障害調整生命年)の総数は2019年時点で約2,868万に達し、1990年以降、絶対数は約50%増加しています[2:pmc.ncbi.nlm.nih.gov]。
この増加は、人口増加や高齢化の影響もありますが、紛争や社会不安、いじめや暴力といったリスク要因の拡大も関わっていると考えられています[2:pmc.ncbi.nlm.nih.gov]。WHOは、緊急時を「よりよい精神保健システムを作るための機会」と捉え、コミュニティでのサービス整備や偏見対策を同時に進めることを提案しています[4:who.int]。
日本でも、戦後の障害者政策は、重度障害者の収容施設から在宅福祉や通所サービスへと徐々に軸足を移してきました[5:mhlw.go.jp]。これは、長期的な生活とリハビリテーションを支える方向への転換でもあります。しかし、精神障害や不安障害については、依然として「発症した後に医療機関を受診する」ことが前提になりがちで、紛争や経済危機といった社会的ストレスにさらされ続ける人々への中長期的な支えは、まだ十分に整っているとは言いがたい状況です。
🪙「生活不安」とメンタルヘルスを切り離さないために
ホルムズ海峡の封鎖による原油価格の高騰は、ガソリン代や電気料金、物流コストを通じて、日本の生活全体に波紋を広げていきます。家計の圧迫は、ストレスや睡眠不足、将来不安を高め、その一部は不安障害やうつ病として現れてきます[2:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][7:who.int]。
それでも、政策やニュースの議論では、「経済」「安全保障」と「メンタルヘルス」は別々の話として扱われがちです。WHOのメンタルヘルス・アトラスは、各国の精神保健政策や資源の不足を指摘しつつ、精神保健を保健・福祉・教育・社会政策と統合して考える必要性を強調しています[8:who.int]。
日本においても、いま起きている国際紛争とエネルギー危機を、「心の健康」の問題と切り離さずに捉える視点が求められているのではないでしょうか。
🌱「気づく」ことの意味を、もう一度考える
ここまで見てきたように、
- 不安障害は、世界的にも最も一般的な精神疾患の一つであり[2:pmc.ncbi.nlm.nih.gov]、決して珍しい「特別な人の問題」ではないこと
- 紛争や災害、経済危機の影響は、子ども・高齢者・障害のある人たちに特に重くのしかかり[3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][4:who.int][7:who.int]、日本でも同様の構造的な脆弱さがあること
- 戦争が終わっても、不安障害やPTSD、うつ病といった形で、長く人々の生活に影を落とし続けること[2:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][3:pmc.ncbi.nlm.nih.gov][4:who.int]
が、さまざまなデータや報告から浮かび上がっています。
とはいえ、「だから、こうすべきだ」と一方向に押しつけたいわけではありません。むしろ大切にしたいのは、一人ひとりが自分のペースで、「もしかしたら、身近なあの人も静かに苦しんでいるかもしれない」「ニュースを見て苦しくなる自分も、責めなくていいのかもしれない」と感じてみることです。
たとえば、こんな小さな問いかけから始めてみるのも、一つの方法かもしれません。
- 戦争や物価のニュースを見たあと、自分や家族の様子に変化はないだろうか
- 「眠れない」「食欲がない」「理由のわからない不安」が続いている人はいないだろうか
- 職場や学校、地域で、「心の不調」を気軽に話せる雰囲気はあるだろうか
WHOは、緊急時のメンタルヘルス支援を、「専門家だけの仕事」ではなく、家族や友人、地域のつながりが支える多層的なものとして描いています[4:who.int]。日本の災害時マニュアルも、専門家による「狭義のこころのケア」と、家族やボランティアによる「広義のこころのケア」を区別しつつ、どちらも大切だとしています[6:mhlw.go.jp]。
いま、日本で暮らす私たちができることは、必ずしも大きな行動ではないのかもしれません。けれども、
- いつもより少し丁寧に、身近な人の表情や言葉に耳を傾けてみる
- 「つらかったら、専門の相談先もあるよ」とさりげなく情報を伝える
- 自分自身が不安やしんどさを感じたとき、「この状況なら、そう感じてもおかしくない」と認めてみる
そうした小さな「気づき」と「ゆるやかな認可」が積み重なっていくことが、戦時下の不安の時代を生きる私たちにとって、一つの支えになるようにも思います。
あなたのまわりには、どんな「静かな苦しみ」があるでしょうか。
そして、その存在に、どのくらい気づけているでしょうか。
その問いを、決めつけではなく、そっと自分なりに持ち続けてみること——それ自体が、誰かの不安障害を「見えないままにしない」ための、ささやかな一歩なのかもしれません。
📚参考文献
- [1] Anxiety Disorders - National Institute of Mental Health (NIMH)
- [2] Global, regional and national burden of anxiety disorders from 1990 to 2019: results from the Global Burden of Disease Study 2019 - PMC
- [3] Post-traumatic stress disorder and major depression in conflict-affected populations: an epidemiological model and predictor analysis - PMC
- [4] Mental health in emergencies
- [5] 厚生白書(昭和56年版)
- [6] 災害精神保健医療マニュアル
- [7] Mental health of older adults
- [8] Mental Health, Brain Health and Substance Use
